灘高校の天才達について思うこと
灘高校のトップ層について思うこと。
灘高校は聞いたことある人が多いと思います。日本の進学率トップの高校です。
雑誌の切り抜きですが、灘は別格に感じます。
8割が東大、京大、国公立医学部に入学するというとんでもない合格実績です。
開成も数字では現れないかもしれませんが、似たようなレベルなんだと想像します。
彼らの中には高校3年の夏頃には東大が確実な生徒が数名いるでしょう。
私の高校でもトップの生徒は夏には東大合格を確信して、夏休みに下宿先を決めているような学生もいました。別に灘のような特別な進学校でもなかったですが、そういう生徒はいました。
その学生は当然のように現役で理科1類に合格していましたが、模試では理科3類はB判定までしか出なかったようです。
A判定は灘のトップ層なんだなと思うと上には上がいるなと感じたものです。
それにしても、灘のトップ層、開成のトップ層でも別に成績がいいからといって理科3類に行くとは限りません。
医者になりたいわけではないなら、当然理科一類や二類、官僚や政治家になるなら文系へ行くはずです。
本人の夢と偏差値は別物です。
ちなみに理科1類は毎年1000人以上の合格者が出ます。トップ層はどれだけ本番に失敗しても不合格になることはほぼないでしょう。
灘のトップ層、開成のトップ層は夏には合格圏に達しているなら、東大も早めに入学させてあげてもいいように思います。
彼らトップ層が我々のようなレベルが追いつくのを待ってくれているようなイメージを、私が高校生の時に感じたものでした。(待ってくれていても決して追いつけませんが)
夏頃には東大に限って早期入学、というのを灘、開成クラスのトップ数名だけでも認めてあげても良い気がします。
スポーツの世界では、日本代表に成長するような選手は子供の頃は大人に混じって練習するそうです。
勉強でも実は似たような現象があって、圧倒的な天才児は18歳の冬を待たずに大学に入学して、早くに本領を発揮すべきだと思います。
勉強できるだけでは社会の役に立たないという批判もあるかと思いますが、少なくとも勉強は天才的なので、普通の人よりは天才性を発揮する可能性が高いでしょう。
彼らにしてみれば、周りに併せて、レベルの低いことを学んでいることになるのだから時間の無駄にはなっているのではないかな、というようにも感じられます。
灘の天才児達は、夏には合格を確信した時点でどの様に感じるのでしょうか?
実は灘出身の人は医師であれば出会うことはままあるのですが、彼らは皆謙虚です。
”俺らなんて大したことないよ、本物のトップはや別物だ”
と口を揃えて言います。灘に入学しているだけで別格ですが、別格の中でも別格なのでしょうか。幽遊白書でいうS級妖怪こそピンキリ、というようなイメージでしょうか。
私は灘のいわゆるトップ層という人たちをみたことはないのですが、彼らは日本の教育制度についてどのように感じているのでしょうか?